食った寝た読んだ

読書感想文

『ピース』 ジーン・ウルフ

酒を飲むとろくなことを言わない上、別に記憶を失うというわけでもないので始末が悪い。

 

 『ピース』

 

ピース

ピース

 

 

 

一読した後よく分からなかったので、自分にしては珍しく短期間に頭から読み直したのだが、こりゃ分かるはずないわな、という印象を強めた。

というより、一章はおそらく意識的に読者を煙にまこうとしており、詰まったところでいちいちページをめくるのを止めずにいると、そこで何が行われているのか、ぼんやりとした把握しか出来ないのだ。*1

二章からは一章に比べれば、かなり読みやすくなるのだが、一章での躓きを無視したまま話を読み続けると、最初のひっかかりが尾を引いて、『ピース』という作品そのものに何ともぼんやりとした印象しか抱けないようになっていると思う。

作品の性質というものを考えたとき、この「ぼんやり」はある種狙ったものなのではないかという気もする。何せ、丁寧に話を追ったところで作品全体の要諦を掴めたと確信できるような作品でもないからだ。*2

 一般論で言うなら、読者の理解を拒もうとする小説というのは、それがどれほど素晴らしいものを内に秘めていたところで駄作である。誰にも理解されたくないというのであれば、チラシの裏にでも書き散らしていればいいのであって、それを何らかの形で世に問おうとした時点で、そのような意図は罪とはしないまでも軽蔑の対象しなくてはいけない。*3

では『ピース』という作品はどうかと言うと、半々かなという気はしている。おそらく、もっと分かり易い形で分かり難い小説を書くことは出来ただろう。

ただ、この作品の焦点の結びづらさは、「記憶」や「回想」をめぐる物語であるからといったありきたりな理由を超えて、作品の主人公であるウィアが秘める性格上の問題点と結びついているのである。

おそらく、読者の理解を拒んでいるのはジーン・ウルフではなく、オールデン・デニス・ウィアなのだ。*4彼が誰に向けて手稿を書いているのは定かではないが*5、この男は己の人生を明快に伝え残すような人物ではないのである。それは彼の周りに漂い続ける死の気配と、物語の中に存在する多くの空白を見れば明らかだろう。

ウィアは意識的に、そして無意識的に、読者と自分自身を騙している語り手のように思う。彼は決して己をさらけ出すことはない。そして、それは最後のページが指し示すように、彼を神の救いから遠ざけている。

あるいはわたし達こそが彼の救い手になるべきなのだろうか?

少なくとも、わたしのところのウィアは、永遠に彷徨うことになりそうな気配である。

*1:たとえば、21ページで行われるブラック医師との問診シーンから叔母たちのシーンへののシームレスな場面転換を読んで、混乱しない読者は少数派に属するだろう

*2:海外のWikiを見て、見事な読解に感心させられたのだが、93ページから夢の話が王女への求婚者たちの挿話から「火」や「水」というエレメントを介することで読み解けるようになるとか、そうそう簡単には気づけないと思う

*3:もちろん、難解な名作というものは存在するし、ある種の晦渋さによってしか表現できないものもある。ここで否定的に言われているのは、作品に益さない、作者の自己防衛のための難解さである。

*4:56ページには「ぼくはいつもそんな調子でしてね──話している相手には伝わらないことを予測して、で、たいがいは伝わらない」とある

*5:個人的には、15ページに一度登場した後、42ページに再び太字で言及される「(学校の)子供たちに見せたかったんでしょう」に注目している。ウィアは本当に彼らの一族の最後の一人なのだろうか?